HONEYMOON

 

新婚旅行に行ってきたのでその旅行記を。

パリとローマ。とてもよかった。PHOTOページも更新してます。

7泊9日ぶん、どっと書きます。

 

 

5月2日(金)「成田、ビール、数独」

 

まず気分を最高潮にもっていくために、成田までは成田エクスプレスを使う。

家の駅からリムジンバスも出てるけど、そうじゃないでしょうと。

ここでNEXに乗らずしていつ乗るのかと。

そもそも、パリに行くのに羽田からの便もあったけど、わざわざ断って成田発に。やっぱりそういうところからだよね。

新宿から乗るNEXは半分が外国人で、そこはもうすでに外国のよう。しかし道中半分寝た。

 

そして成田でビールを一杯のんで、搭乗。国際線のあの長い待ち時間は、気持ちの面でもビールの面でも、あの時間必要なのだ。

飛行機は断然日本の航空会社がいい。サービスもいいけどトラブルのときに安心する。

13:00ごろフライト。

 

 

そして11時間のフライトの末、パリのシャルルドゴール空港へ到着。

この円形の合理的なターミナル1がすごく好きで、そのためにターミナル1に到着するANAにしたのだ。

出発、到着、サテライト、空港バス、鉄道、すべてが円構造がもつ効率性に帰納するこの宇宙的な無骨なデザイン。たまらんのです。

空港に20:00ごろ着。バスで市内に移動して地下鉄に乗ってホテルに着いたのが23:00ごろ。

泊まったホテルの人が、いい人で毎日すごくよかった。

フランスの人はたいていいい人でいいイメージだ。

 

 

 

5日3日(土)「エッフェル塔、ハンバーガー、デパート」

 

この日は朝からエッフェル塔へ。

といってもホテルでよく寝て遅めの朝食だったので、お昼寸前ぐらい。

 

ホテルの朝食ビュッフェがすごくいい。

黒人のおじいさんのベテランギャルソンのような人が、コーヒーを注いでくれる。ミルクは「No, thank you.」としっかり断る。

ソーセージの肉感がよい。スクランブルエッグのほどよいびちょびちょがよい。野菜はパプリカをオリーブオイルで。クロワッサンは史上最高においしい。

 

 

エッフェル塔は、あの形状やあのライトアップや、このパリという背丈の低い古都のなかでの存在、麓の芝生など、憧れの対象である。

ここは今回の旅行のなかでのマストプレイスで、地元のパリジャンや観光客の欧米人にまざって、芝生に寝転がるのだと、出発前から心してかかった。

あと、現地のテンションでサングラスを買うのだと、心してかかった。

この旅、だいたい快晴ですばらしかった。

 

 

芝生はとてもよかった。たぶん、朝から夜までいられる。

欧米人は芝生を見ると寝転がるらしい。すばらしいと思う。

 

お昼を食べようと、いろいろ練り歩く。

しかし、高いのと、昼からコースみたいなの出ても困るので、なかなかお店を決められないままたしか14:00ぐらいになったと思う。

 

ようやく決めた店は、外に出てるメニューの看板にハンバーガーの文字が見えたから、ここならカジュアルだろうと。

そして地元のパリジャンと同じくテラス席で日光を浴びながらハンバーガーをいただく。このハンバーガーが本当においしかった。

軽く焼いたパンも肉も、付け合わせのフレンチポテトもサラダのドレッシングも、すべてがおいしくて感激した。

ボーイさんがイケメンだった。黒いシャツがよく似合う短髪。

トイレを借りていいかと聞いて、店内のトイレに向かうと前にトイレにいった別のん客の若いにいちゃんが、今は行かないほうがいい、誰かが#$%&したみたいだ、あと5分待ったほうがいい、と教えてくれた。

半分よくわからなかったけど、おそらく誰かがぶちまけたのだろう。

こんな見るからに外国語通じなさそうな日本人に、気さくに話しかけるその自然体が楽しかった。

 

 

食べた後は、街をぶらぶら歩いて世界最古の高級デパートというところにたどり着いて、お土産なんぞを物色。

ホテルの近く、サンジェルマンという街、路地裏を歩いてチョコレート屋さんに行ったり、デザイン系の雑貨屋さんを見たりした。

この雑貨屋さんがとても気に入った。ビビッドなデザインの雑貨を揃えてて、ここのiphoneカバーがとても気になった。

パリの街のモチーフのデザインで、自分にとってはザ・お土産、という感じに映った。

これをここで買わなければ、片道11時間、有給4日、数十万円というすべてを台無しにしてしまう気がした。

しかしここで買ったところで、日本に帰ったら冷めて、なんでこんなものに15ユーロ使ったのかと、寂しくなるような気もしていた。

静かな店内でずっと悩んで、店員さんには冷たい目と冷たい態度をとられた。

 

初日に疲れ、よるご飯はデパートのお惣菜にしようと、再び世界最古の高級デパートに戻った。

計り売りのお惣菜、観光客相手にはすごい量を盛ろうとしてくるから、結構な精度でグラム数を伝えると、冷たい目と冷たい態度をとられた。

ホテル近くまで戻ったところで、食べるためのフォークがないことに気づく。

世界最古の高級デパートに戻り、箸をゲット。疲れて死んだ。

初日ですでに3回行った。

 

とくにいい写真はなく。

 

 

 

5月4日(日)「ひろおみ、ギャラリー、ルーブル」

 

この日は年始ぐらいから計画を立てていた、ひろおみと落ち合う日。

オランダのアムステルダムからパリまで、深夜バスで7時間かかけて、パリのホステルにまで泊まって来てくれた。

 

マレという街の芝生のある歴史的な何かの広場で合流。

この芝生でもよく寝転がった。

お昼ご飯の店を探しがてら、そのへんを散歩する。

ひろおみによれば、ギャラリーが多く、落ち合う前日もギャラリーやらで作品を見ていたそうな。

その一つ、現代アートのギャラリーに連れて行ってもらうことに。

ギャラリーは街の中に、他の建物となんら変わりなく急に現れ、知っていないと知り得ることはなかったであろう感じ。

玄関チャイムを普通に鳴らして中に入れてもらう。はずが、この日は日曜で休みか、誰も出ず。

ちょうどタイミングよく中から、同じようなギャラリー巡りしているような2人組が出て来たので、オートロックがかかる前にさっと侵入。

あのへんの建物の、壁の向こう側を見れてよかった。作品は建物の中にあってガラス越しに遠巻きにしか見れなかったけど、その空間を味わえたのでよしとする。

 

 

お昼はなんとなくあったレストランでお肉とワインをいただく。

昼間っからワインなんて、いいなあーとひろおみは言った。なんか、このへんに住む人は、楽しそうでいいな。

お会計して店の人におつりをチップとして渡すときひろおみが「You can take.」と言った。なるほど便利な言葉だと学習し、その後何度も使う。

 

そのあとは、妻がガイドブックから探し出したチョコレート屋さんでお土産とお茶を。

日本人の店員さんがいたり日本人客がたくさんいたりして楽だったけど、ここは雰囲気がすごく上品で、カウンター越しにチョコをひとつひとつ選んだものを箱に詰めてくれる。

 

 

そのあとは近くのマルシェに寄ったほか、あてもなくパリの街を歩き回った。日本人だらけのオペラという街、ルーブル美術館の庭、セーヌ川のほとり。

けっこう寝転がった。ノルマ的にはもういいだろう。

ここでもサングラスを探すがヒットがない。

遅めの夕暮れで19:00とか20:00とか。日が傾いた景色もよい。

ひろおみの帰りのバスまで、ビールを一杯、簡単に客引きにつかまった店に入る。

 

 

ひろおみの近況を聞いてると、すごく刺激をもらう。アートに生きる人の感性をすこし覗かせてもらうだけで、自分には見えていない物事が世界にあふれている事を知る事ができる。

パリで会えてよかった。

ひろおみと別れ、コンコルド広場のオベリスクという、マリーアントワネットが処刑された時にどうのこうのあったらしいところを通り過ぎ、そこで遠くに22:00のシャンパンフラッシュのエッフェル塔が見え、心が湧いた。エッッフェル塔には登らねば、これも後悔するだろうと思ってた。

次の日登ろう。

 

 

5月5日(月)「ルーブル、サングラス、エッフェル塔(2回目)」

 
この日はオプショナルツアーで申し込んでいた、ルーブル美術館へ。
ツアー会社に朝、集合すると、かき集めた様に日本人がたくさんいて、日常からどれだけ離れていたか、思い知った。
集団行動がひどく恥ずかしくなった。けど、美術館の中はどの国も同じ様に集団行動のツアーがいた。
世界各国、各大陸。これだけの人種がこれだけの人数一度に集まる観光スポットが、日本にあるだろうか。
あとから思ったが、自分はオルセー美術館のほうが興味があったのかもしれない。
あと、ツアーはあまりよくない。自由が奪われる。
 

 

とうとう耐えられずに日本食屋に行ってカツ丼を食べた。

日本食は最高だと心の底から思った。出汁が最高なのだ。

あと、サングラスをとうとう手に入れた。

 

この日は一度ホテルに戻って昼寝をして、夜のエッフェル塔に備えた。

22:00ぐらいにホテルを出て、エッフェル塔に向かった。

最初に来た時は、上に登るのにすごい列が出来てたけど、夜はそんなでもなかった。

並んだチケット売り場がエレベータのチケットを売ってなくて階段のみだったので、足をぱんぱんにして第2展望台まで登った。

第1展望台までビル10階ぐらい?第2展望台までその倍ぐらい?よく人間をここまで階段で登らせるものだ。

 

 

東京タワーの赤いライトアップも好きだけど、単純に黄色いだけのライトアップも奇麗でいい。

夜の明かるさで街が青白い。街は白壁に青い屋根の建物で統一されている。そこにぽつぽつの黄色い街灯が見えたり部屋の灯りが見えたり歴史建造物のライトアップが見える。とても幻想的。

 

毎時00分のシャンパンフラッシュを見るため、22:00まで中のコーヒースタンドで待つ。晩ご飯代わりのプレッツェルをコーヒーでほうばる。塩っけがおいしい。

 

 

冒頭の写真は、エッフェル塔から降りて台の上に乗って写真を撮っていたら、観光客らしいおばさま2人組に笑われ、そのままカメラを渡して撮ってもらった。先端まで入れないものなのな、外人。

 

 

5月6日(火)「デパート(4回目)、雑貨屋(2回目)、寝台列車の老夫婦」

 
パリ最終日。ホテルのチェックアウトをすませ、大きなスーツケースを二つフロントで預かってもらって、4度目の世界最古の高級デパートに行く。お土産をいい加減買わねば。
うちの親から「パリらしいカフェオレボウル」という微妙なミッションをもらっている。前半の形容詞が微妙。
小道のお店とかいろいろ見たけど、「パリらしい」にぴんとくるものがなく、デパートの食器売り場でようやくそれらしいものを見つけた。
色違い4つセットで29ユーロ。1つでいいのだが。交渉するも笑われ撃沈。
 
そして気になったiPhoneカバーの雑貨屋さんへ。もう心に決めたのだ。
店に入る瞬間にボンジュールを言えば、冷たかった店員さんも笑顔で歓迎してくれる。
iPhoneカバーを買い、これで満足感もミッションも達成された。
いま日本でこのiPhoneカバーを見ながら思うが、買ってよかった。
秋に新モデルが出るかもしれないが、そういうことじゃない。買ってよかった。
 
今回の旅行、2都市目はローマへ。移動にはパリリヨン駅から20:00に出る寝台列車で。
駅にお昼過ぎに移動するも、大きい荷物があるので特に動かず、結構な時間駅で潰した。
 

 

thelloという名の寝台列車、パリリヨン駅を出たらイタリアのミラノセントラーレ駅に朝6:00に着く。

駅の案内板には、何番線に電車が入るのかいつまでも表示がなく、気づけばそこにthelloと書かれた電車があった。あぶない。

乗り込むと、日本人でも狭いと感じる個室。1等ではないのでしょうがないのだが、飛行機にしても何にしても、日本人でも狭いのに外人は大丈夫なのだろうか。

 

出発すると、即効で酔うぐらい揺れた。乗り心地はおすすめ出来るものじゃない。

楽しみにしていた食堂車は、乗客人数分の十分なスペースはもちろんないのと、スタッフが見る限りバーとレストランに一人ずつで、すごく混んでた。

数十分待ってると4人テーブル席が空き、そこに座ると、フランスからイタリアに旅行に行くという老婦人と相席することになった。

とても陽気でいい人だった。もじもじする日本人に対して、興味を持って優しく楽しく話しかけてくれた。もう仕事はリタイアしているという。友人が日本で役者さんの仕事をしているという。カメラはPanasonicだった。漁師が運ばれてきたら「イタダキマス!」と言ってくれた。ならばと、こちらの料理がきたときも本家の「いただきます」を返すと大笑いしていた。

思い出に残る、いい時間だった。

 

 

 

5月7日(水)「洗礼、パスタ、ジュニアスイート」

 

朝の6:00、ミラノ駅到着が近づくと、車掌が前日回収したパスポートの返却に起こしにくる。

揺れがひどくて気を抜くと酔いそうだったので、あまり眠れず。

ミラノからローマまでは、9:00発のフレッチャロッサという新幹線的な特急に乗って移動する。それまで待ちである。

 

まず駅のトイレに行こうとすると、有料で、そのすぐ近くに地元の若者らしき4,5人の集団がこちらを見ている。

これはトイレ行くとやばいかなと思い、トイレをあきらめ、駅にあるマックへ向かう。

気づくと、後ろからさっきの集団の1人がついてきている。あやしい。

立ち止まってやり過ごすと、その人はマックに入り、レジにある紙ナプキンを一枚だけとって、すぐにUターンしてどっか行った。あやしい。イタリアはあぶないところだと感じる。

 

朝食を食べようとコーヒースタンドに行く。パニーニがいいなあと思って注文すると、おばちゃん店員がなんかイタリア語でしゃべってる。よくわからんままでいると、パニーニじゃない甘いパンが出て来た。意味がわからん。

席を取りにいってた妻が、男の店員になにか呼び止められている。

聞くと、席は4ユーロとるらしい。カウンターでの立ち飲みは席代はいらないらしい。

時間もあるし眠れず疲れてたので、4ユーロ払ってテーブル席へ。
この時点で、パリで不自由なく優雅に過ごしてたときとのシビアなギャップに沈む。文化発展は国それぞれなのだと思い知った。
 
フレッチャロッサの時間になり、ホームへ行き電車に乗る。
新幹線みたいで乗り心地もよかった。が、旅行へ行く家族団体の子供達だらけですごく騒がしかった。自分たちが座るべき席も、最初占領されていた。
2時間半ぐらいずっと眠っている日本人は、子供達の目には変に映っただろう。
そしてローマのテルミニ駅に着く。
 

 

ローマのテルミニ駅の周りは、石造りの町並みで、日差しが強く、乾いた空気で、近代都市の観光地ではなく古代都市の観光地だった。

浮浪者が多かったり、道路に秩序がなかったり、ここも少し印象が暗かった。

12:00ぐらいに駅の近くのホテルに着いた。

ルームメイクが14:00までかかるということだったので、チェックインだけして、大きいスーツケースを2つポーターに託し、チップを渡し、お昼を食べに外へ出た。

 

さっそくパスタを食べようとお店に入ると、ボーイに片言の日本語で妻が口説かれる。もちろん観光客に対するリップサービスだが、そうかここはジローラモの国だったと実感した。

しかしパスタが本当においしかった。麺が太くてもちもちしていて、ソースがかかっているという感じではなく、ソースと一つになってようやくパスタというのだと、そのとき思った。これは日本にはない。日本のパスタは何だあれは。ちゃんとやってほしい。

 

ご飯を食べて、しばらく街を散策してホテルへ戻った。

ここには2泊しかしないから思い切ってランクをあげ、ジュニアスイートをとった。これが正解だった。

最上階のフロアで、すべてがジュニアスイートかスイート客用のフロア、全室テラス付きでローマの街が眺められる。

ここに来てようやく気が抜け、寝不足もあり夕方まで寝る。

 

 

 

起きてシャワーを浴びて、ドライヤーをつけたらブレーカーが落ちた。

とうとう来たと思った、この旅行英会話マストシチュエーションが。

フロントに電話をかけて、部屋に来てもらって、状況を見てもらったら部屋を出て数分後に電気が復旧した。よかった。

テラスは夕暮れの街の遠くの喧騒と風が気持ちよかった。ローマに来て、この街を眼下に見下ろして、支配的な気分になった。

部屋のサービスの紅茶をテラスで飲んで、休憩。本当にいい選択をしたと思った。このホテル。

 

夜は、同じフロアにあるテラス付きのレストランに行った。

パリに比べ、日が暮れるのは早く、夜の気温の落ち込みも早い。

テラスはあきらめ、室内でお食事。

日本人ツアー客が数テーブル占拠していた。

身なりの良いおばさまたち、若いカップル同士で仲良くなったグループ。

ひろおみが言っていたが、日本人の観光客はどう見たって日本人の観光客だ。

ここのパスタもおいしかったし、メインのお肉もおいしかった。一口目をミスってお肉じゃなく付け合わせのきのこを食べてしまったが、それでもこれはおいしいと直感した。

 

 

 

5月8日(木)「サンピエトロ大聖堂、ジョルノジョバーナ、倍返し」

 

この日はオプションツアーで、サンピエトロ大聖堂とコロッセオに行く日。

前に東武ワールドスクエアでサンピエトロ大聖堂を見た時に、なぜかえらく感激して、これは見に行かなければいけないと思った、ほかのどの国のどの建造物よりも。なんか絶対的な存在感を感じた。

 

↑東武ワールドスクエアのミニチュア

↓ほんもの

 

そして続けてコロッセオに行った。

ローマに来たのも、妻がジョジョが好きで、5部の終盤の舞台となるコロッセオに来たかったからという理由。

 

コロッセオの周りはローマの中心地ながら遺跡だらけの古代都市だ。

とても満足そうだったが、やはりツアーなので、いい感じのところで記念ジョジョ立ちをすることもできず、中途半端に終わる。ポルナレフも出てこなかったし。

やはりツアーはよくない。

 

 

この雲一つない青い空を背景に、コロッセオの壁が遠く高くそびえ立つスケールの大きさがよい。

このあと、ツアーに含まれているフォロロマーノ遺跡に行ったが、正直とくに遺跡や歴史にそこまで興味がないので、流し。日差しが強い中、疲れただけだった。

 

ツアー解散後、ピザを食べ、スペイン広場まで歩き、お土産をあさり、ジェラートを食べた。

この辺はうるさいほどに日本語が飛び交う。現地の人が日本語で客引きをしている。いまは誰が吹き込んだか「バイガエシダ!」が流行っていた。

 

そのあと、ジョジョ5部の最終決戦の地とされる、サンタンジェロ城のまえにかかるサンタンジェロ橋へ。

橋の両脇にある彫刻と空の雲の感じが、ジョジョらしさを醸し出していた。

 

 

 

5月9日(金)「アリタリア、ロストラゲッジ未遂、ANA日本人は神」

 

最終日、ホテルのチェックアウトを済ませ、さっそくフィウミチーノ空港行きの電車に乗る。

自動券売機で電車のチケットを買っていると、隣からおばさんがあーだこーだ券売機の使い方を教えてくれる。

これはやばいなと思い、ノーセンキューノーセンキュー言ってたが、チケットを買って出ると、さっきのおばさんがチップよこせと言って来た。

最初は無視していたが、厄介なことも面倒なので、適当に直径の小さい硬貨を1枚渡した。やっぱりイタリアはこわいところなのだ。

 

フィウミチーノ空港に着いて、飛行機のチェックインを済ませて、荷物を預け、出発までご飯を食べた。

パリのシャルルドゴールでトランジット、帰りは便利な羽田に着くようにした。

シャルルドゴールに着いたところで、トラブルに気づいた。

預けた荷物の、トランジットの便名が、我々が乗る便ではなく、成田行きの便が書かれていた。

これは。。荷物だけ成田に行くということ?しかしそもそも予約がおかしくなっているのかもしれない、日本に帰れないかもしれない、という恐怖が湧く。

シャルルドゴールのインフォメーションに聞いてみても、そこの人は、okという。日本?成田であってるだろ?という感じだった。成田と羽田が違うという事を分かってないのかもしれない。

とにかくターミナル2Eへ行けと言われた。そこはターミナル2のインフォメーションだったのだが、羽田まではANAを予約していたがターミナル2にはANAはない、JALだけだ。そこの人はJALもANAもわからないのかもしれない。

とにかくまずいと思い、日本人としゃべらなければと思い、ターミナル1のANAのカウンターを目指してターミナル間モノレールに乗った。

便を予約するときに、トランジットでなんかあるといやだから待ち時間は十分とっていた。

 

ターミナル1に着いて、ANAのカウンターで日本人の男のスタッフを見つけて事情を説明した。この人は神だった。

予定通りの羽田着の便にチェックインできた。成田に行きかけている荷物は引っこ抜いてちゃんと飛行機に乗せてくれると言う。

日本人と日本語で話せてほんとうによかった。最悪、成田についても日本には変わりないのでなんとかなったかもしれない。

たぶん、イタリアからのアリタリア航空のイタリア人が、適当な仕事をしたのだ。シャルルドゴールのインフォメーションも適当だ。とんでもない。

空港のスタバで休憩し、村上春樹を読んで時間まで待った。

 

搭乗の直前、自販機で水を買って小銭を消化しているときにアナウンスで自分の名前が呼ばれた。

またなんか起きたかと思ってカウンターにいくと、さっきのANAの神兄さんがいた。

荷物の新しい、正しい引換券を渡してくれた。これで大丈夫らしい。

神だと思った。

 

 

そうして、飛行機は出発し、羽田に到着してしっかり荷物を受け取り、なんとか無事に7泊9日のハネムーンが終わった。

日本はすばらしいところがたくさんあるが、自己責任の国の自由さやおおらかさが心地よい。

頭はしばらくパリから帰ってこなかった。

 

 

おしまい。

 

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コメント: 5
  • #1

    かっつん (日曜日, 08 6月 2014 18:23)

    いいカメラだね

  • #2

    はやし (火曜日, 10 6月 2014 21:49)

    コメント早。いつも。

  • #3

    uk (月曜日, 16 6月 2014 22:09)

    僕だってね、寝っころがるくらいしますよ。芝生があったら。
    はやさん何だか若返りましたねー

  • #4

    はやし (火曜日, 17 6月 2014 19:58)

    そうかい?フライパンに寝っ転がってるのすら見たことないけど。
    ま、元気のあるときないときあるよね。

  • #5

    zobacz osobiście (金曜日, 03 11月 2017 19:16)

    wypasionymi