誰かの為に 自分の為に

ここ2年弱程、生活のすべてを飲み込まれていた不妊治療について、そのとき考えた事とか気持ちとか残しておくため、あとこれをたまたま誰かが見てどう思うか分からないけど何かの記録とするため、誰かの為、自分の為に書いておこうと思います。

 

 

不妊を疑ったのは、妊活を始めて半年、うんともすんとも言わなかったからです。正常なら妊活を始めて半年で妊娠する確率は2割、一年やれば4割だそうです。

試しに病院へ行ってみたらあっけなく不妊と診断されました。

「男女ともに中等度の不妊症」と言われたました。ショックというよりは当事者意識のない、え、そうなの?そうなんだ、ぐらいの感じでした。

まさか自分がそういうことになるとは。

結婚したら当たり前の様に子供を作るというステップが、いきなり遠いものになりました。そもそもが30日に1度のチャンス。そこに正常で2割とかの受精確率。知れば知る程、あんな奇跡無理だろうと。

色んな統計があるけど、6人に1人は不妊だと聞きます。

 

検査すると自分は、精子の数、運動率がよくないとのこと。数が少ないから精子の奇形率も上がる。

ただ、男側は生成さえ出来れば、良いものを取り出す事は医療で出来ます。取り出してしまえばそのあともどうとでも出来る。

女側は生成から排卵、着床までの過程で色んな要素があるから体のなかで障害となりうるステップが多い。これが大変なのです。

 

 

最初に行った病院は検査だらけでした。

検査の結果の説明が少ない。次のステップが見えない。専門用語ばかりで聞き返しても意味が分からない。

これはそこの先生の性格によるものだと思うけど、信頼することができませんでした。

検査しに通って、検査結果を聞きに行くと次回はまた別の検査だと言われる。

半年間通って、検査ばかり。家でタイミング授精をやりつつ、ここでは人工授精を一回だけしました。

人工授精の成功率を上げる為に女側の薬をもらうのだけど、体に合わない強力なやつだったみたいで、妻は結構しんどそうだった。

病院には先生が学会で発表したことや表彰されたことのスクラップ記事とか賞状が貼ってあって、

この先生は患者を直したいんじゃなくて研究で表彰されたいんじゃないかと思いました。うちらのことはどうでもいいから成果を上げたいんじゃないかと。

病院に何を期待するかだけど、ここを信頼することはできないと思って病院を変えました。

 

 

二つ目の病院も、結果合わなくて変えました。

ここにも半年ちょっとぐらい通ったと思うけど、人工授精する為に準備として卵子を育てる薬を出され、排卵予定日が近づいてくると数日とびで通院して成長の度合いを見られる。ベストなタイミングで受精させるために。

これは普通に仕事してると無理なんですよね。こんなにしょっちゅう休むのは。

会社の人に理解がないと、休みを申請しづらい。

 

で、ようやく人工授精予定日、期待して病院に行くと、もう排卵してしまってるのでまた来月、と言われました。

1ヶ月に1回しかないチャンスに合わせてこっちは休みを会社に申請して病院に来ているのに、タイミングをうまく計れず何回もチャンスを無駄にしました。

 

卵子の数や妊娠率は年齢に関係するって、分かりきってるから焦るのに、このまた1ヶ月無駄にした、というのがほんとにしんどい。

また30日やり直しか。と。また振り出しか。と。

また会社を休まなきゃ。と。

いっこうに進まない、トライすら出来ないのがほんとに腹立たしかったです。

 

ここの先生には会ってないけど、ここは許せませんでした。

妻が言うには毎回の診察ごとに前回の話に戻っちゃって、患者の事を覚えていない。

こいつはお金が欲しくてずっと通わそうとしているんじゃないかと、そこまで思いました。

言われる事が信用できないから、この先やっていけないと思いました。

 

 

3つ目の病院に移りました。

ここはネットでも評判のところで、そのために待ち時間が半端なく長いという口コミのところでした。

なので最初に病院選ぶ時も避けていたところでした。

行ったらまず、検査してすぐに、人工授精1回してみて無理なら体外授精に移りましょうとのこと。

早く妊娠してしまいましょう、と言ってくれました。

必ず妊娠できますから、と。

体外授精については抵抗ある人も多くいると思います。自分も治療始まるときはなるべくなら人工授精で、と思ってました。

でも、この1ヶ月に一回しか来ないチャンス、簡単に月日は流れていきます。

30代前半の人の人工授精の成功率は1割ほど。

出来るひとは5回までに成功するけど、妊娠力に依るものだから回数重ねれば確率が上がるもんでもないので、その先どうするかという方針は、医者の判断が重要だと思います。

可能性を信じて何年も人工授精を続けられるかというと、精神的にうちらは無理でした。

 

すごく話を聞いてくれる先生で、たぶん患者の気持ちをよく分かってるんだと思う。

あとで思ったけど、待ち時間が長いのはこの先生が優しすぎて、全部の患者に等しく全力で接して話を聞いているからじゃないかなあと思いました。

先生の家庭が心配になるほど病院に缶詰めのようで、病院の前のコンビニでご飯を買って来てるところを見かけたこともあります。

そのとき、病院の外でもこちらに気づいてくれました、そんな先生。

 

朝9時の予約で、帰れるのは14時とか15時とか。午後に予約すると、21時とか22時とか、日が変わる時もありました。

先生も看護師さんも仕事頑張っててすごいなあと思います。

待ち時間が長いからいつも前もってツタヤのコミックレンタルに行って10冊ぐらい借りて、待合室に何時間も座って読み倒して、

妻は毎回注射で血を抜かれ、卵胞の成長をみて、何時間も駐車してた車に乗って帰る。

また来週、先週借りたマンガを前もって返して、次のマンガ10冊借りて、何時間も待って、帰る、

というのを何週間、何ケ月も繰り返しました。

ハンターハンター、キングダム、テラフォーマーズ、僕だけがいない街、亜人、東京グール、あと何読んだかな。

この繰り返しです。この生活はいつまで続くのだろう、終わる日がくるのだろうか、と、ぞっとする毎日でした。

生活を不妊治療が支配していました。

 

夜12時過ぎて終わった日、ぐったりして車で帰ってる途中、もうしんどくて涙が出てきそうになって、運転中しゃべらずに堪えて帰る日がありました。ご飯を食べに深夜のファミレスに寄ります。妻は妊娠率を上げる為にタンパク質中心の食生活をしてるからご飯は食べないようにしています。

でもその食生活が体に合わないのか、タンパク質ばっかりだと体の調子が崩れて気分悪くなるらしい。

病院でもらったプロテインも、スープに溶かしたりいろいろ飲み方試したけど、結局無理でした。

心も体もぐったりでした。

 

結局人工授精でうまくいかず、体外受精に移ることに。

いろんな誓約書にサインをします。

体外受精の予定日が近づいてくると、卵胞を多く育てるため且つ、排卵してしまわないようにするため、毎日2種類の注射をうつ必要があるのですが、毎日病院には通ってられないから注射キットをもらって家で自分で打ったりもしてました。あとで知りましたが病院で打つ値段の2〜3倍します。

痛みを我慢しながら自己注射する妻、溜まっていく使用済み注射キット、見ていて本当に痛々しくて辛かった。

 

 

 

そしてようやく体外授精の採卵の日、それまでの妻の努力が実ってか、かなりの数の卵胞が採れました。確率の問題なので、卵は多い方がいい。

麻酔でぐったりしてたけど、あの時の妻はこれまでで一番嬉しそうな顔をしてました。

 

手順としては、これを自分の精子と受精させ、培養液である程度成長させた後、また子宮に戻します。

 

30個の卵胞が採れて、結果、その7割の20個が受精可能な成熟卵、その8割の16個で受精確認。うち6個を凍結保存して次回以降へまわし、残りの10個を培養液で育てる事に。順調に育てば子宮に戻して着床するのを待つ、というやり方です。

 

その10個、子宮に戻せるまで育ったのは0個。全滅しました。

結果を聞かされた妻は病院で泣いたようです。

このときの絶望が一番大きかった。

かけてきた時間と体力とお金と、あと希望がぜんぶぱあになったと思った。また最初からかと。

また通院、また食生活、また注射、また繰り返すのかと。 

 

 

次のステップ、体外受精再チャレンジ、また排卵周期を待ちますが、次は凍結した受精卵が6個あるのでそこからスタートです。

1ヶ月経ち、6個のうち4個を解凍、前回とはやり方を変え、培養液では育てず、ある程度したらすぐに子宮に戻して、子宮内で育てる方法をとりました。

 

解凍した4個の受精卵のうち一番数値のいいものを子宮内に戻し、あとは着床してくれれば妊娠判定、という段階です。

これも妻は術後麻酔でぐったりしつつ、嬉しそうな顔をしてました。相当な体への負担はあったはずです。

確実に次のステップに向かっている事が嬉しいのだとか。これまで時間がかかったけど、いままでの検査やタイミング外されてたときとは違います。 

 

1〜2週間後したら病院にその確認に行って検査して妊娠したかの判定を聞きます。

 その間、期待と不安が入り交じって状態で過ごしているのですが、判定が出る日が近づくと市販の妊娠検査薬でも陽性か陰性かどうか分かります。

病院に行く前日、妻に夜中にたたき起こされて妊娠検査薬で陽性反応が出てるのを見せてきました。

待ちきれず自分で検査薬を使ったようですが、初めて印が出た妊娠検査薬を見ました。

 

 

そうして着床し、胎嚢と心拍を確認し、妊娠に至りました。 

 

 

施術に関しては、状況に応じていくつかの手段を選ばなければいけません。場合によっては、判断によっては、これまた今までの努力が水の泡になることもあります。

受精卵を子宮に戻すときも、状態によっていくつか手段を選択しなければいけないのですが、

この大事なときに先生の判断を信じる事ができたのは、精神的に大きかったと思います。

 

 

あとは病院で薬もらいながら2ヶ月ぐらいは成長を見つつといったところでしたが、

先生は「早めに卒業しましょうか」と、通院を通常より早く終わらせてくれました。

本当にいい病院、いい先生だったと思います。 

 

 

 

マタニティマークを付けている人がどうこうされるニュースがありましたが、当事者からすると、苦労なくあのマークをつけるに至った幸せそうな人を見ると、不妊の人のことを知らないんだろうなあと勝手に卑屈に思ったり、心の奥深くから黒い感情が沸き起こって支配されます。

もう駄目なんですよね。不妊は心を蝕んでいきます。

ニュースのパネラー席で言ってる人がいましたが、あのマークは幸せの象徴のように見えてしまうのです。

恨めしく妬ましく見てしまうのです。

妻と買い物とかに行くと、同年代で赤ちゃんを連れている夫婦を見るのが本当につらい。うちにはあんな未来は永遠に来ないんじゃないかと。

「でもいつかできるでしょ」と人は言います。

うちの親も、健康に過ごせばいつか子供が来てくれる、と言います。

当事者はそうは思えないんですよね。強く望んで、辛い毎日を過ごして、絶望の中に生きています。

不妊症の問題はその辺の心の状態も含められるべきものだと思います。

マタニティマークのトラブルのニュースも、自分はそこまで過激な行動に出ることはありませんが正直気持ちは分かるんですよね、どんなに暗い気持ちでいるか。

健常者しかいない場で誰が悪いとか理解できないとか、弱者・マイノリティーのことを論じるのは無駄です。

ああいう問題はこの不妊治療の現状が理解されていない、表に出ていないことが、一番の社会問題であって、どんどんマイナス方向にスパイラルしていきます。

 

 

病院ではたまに患者さんが診察室で大声で泣いているのが聞こえます。目をこすって待合室に戻ってくる人がいます。

どんな辛い宣告を受けたのだろうかと、想像します。

診察券の番号で呼ばれるとき、だいたい500番ぐらい前までの番号をよく聞きます。たまに自分らよりも2000番も若い人がいたりします。いったいどれだけの時間戦って来たのだろうと思います。

 

自分も妻も、何度も泣いています。何が正常かわからなくなります。

生活全てが治療中心になって、息抜きする時間も、お金も、余裕も失っていました。

永遠に暗いトンネルの中にいて、ここを抜ける日が来るのだろうか、どんどん細く、深く、暗く、この先に出口はないんじゃないかと。

不妊治療は孤独です。正常な社会からはみ出してこぼれ落ちてしまったような、見える世界がくすんだ虚構のような感覚にあります。

同じ立場の人と情報交換することが本当に大事だと思いました。

そこで文章にしておこうと、誰が読むか分かりませんがここに残しておきます。

 

 

うちはそれでも2年弱、長い人は何年も続くのに、それに比べると自分たちは「ラッキーだった」という感想が正直なところでした。

いまも病院の前を通るとき、見上げると夜遅くても電気がついています。まだあそこで戦い続けてる人がいたり、どこかで不妊に悩んでいる人がいることを考えると、つらかったときの感情が蘇ります。

 

自分の為に、誰かの為に、ここに残します。

 

  

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コメント: 2
  • #1

    だいも (木曜日, 02 3月 2017 09:06)

    すごく過酷だったんだね。
    生まれてきてくれてよかった。
    ひとまずお疲れ様でした。

  • #2

    はやし (木曜日, 02 3月 2017 21:22)

    おお、コメントありがとう。
    公開悩んだから、賛否どっちでもいいから反応みたかったんよね。
    ただこうやって自分が自分が〜にならんようにせんとね。