案外口にしてみるもんだ

そうだ、ここには節目となる出来事は残しておこうと思ってたんだ。およそ一年半前になりますが2度目の転職をしました。3社目です。

2社目には4年いましたか。

 

社会人10年選手になって、自分で仕事が出来るスキルがついて、会社ではなく自分にお客さんがつくようになって、若くもなくベテランでもなくいい脂ののり方をしていたと、自分で思います。

ですが日々の東京生活が合いませんでした。

毎日片道1時間半ちょっとの通勤で、都心の人ごみと喧騒と刺激の中で生きていましたが、そんな生活にずっとストレスを感じ、結局打ち勝つことなく逃げたくなっていました。

いつかは仙台か福岡へ、と。この「いつか」という言葉が人生には重要ですね。

 

結局自分の人生の見本は自分の親なんだなと思います。

自分は仙台というちょうどよい地方田舎都市に生まれ、12歳までいました。

父親は東証一部上場企業のサラリーマンで転勤族でした。

平日勤務、土日休み、車通勤。小学生の記憶ですが夜8-9時には帰ってきてニュースステーションを見ながら晩酌していました。

たまに出張で家を空けますが、休みの日には家族で出かけたり、友達家族と旅行に行ったりホームパーティーをしたり、夏はキャンプ、冬はスキーと、絵に描いたような平穏な家庭だったと思います。

 

社会人10年選手の自分はそんな地方勤務の父親からは離れた、東京戦士になっていました。

家族もでき、子供が生れてまもなく手のかかるころ、朝早くに出勤し、夜の10-11時ごろに帰ってくる、つまりは妻はワンマン子育て状態でした。

この状態が正しいわけがない、と、小さいころの父親の記憶と照らして、憧れて、悩んでいました。

そんな通勤距離に住んだのが悪いのは分かっていますが、もっと都心寄りの、通勤電車の窓から途中に見える住宅の密集した、人のごちゃっとした、自然の少ないところに住む気にはなれませんでした。

 

そして仕事も、好きなことをしているが故、好きな仕事への信念を通せないことが少し出てくると途端に虚しくなるのですが、その「少し」が自分の中で大きく目立つようになり、生活へのストレスも相まって、「いつか」仙台か福岡へ、と転職サイトを覗くようになっていました。

 

でもこの「いつか」という思考が害で、思うだけで何も行動に移さず、ただいつかいつかと夢を見るばかりで時間が過ぎます。

人はお金がなくては生きていけません、もしくは食べものを獲るための技術が必要です。

仙台か福岡へ帰るため、これまでのキャリアに関係ないジョブチェンをしようとまで考えましたが、一層現実味を帯びず「いつか」とばかり考えていました。

結局自分にはサラリーマンとして働く道しか見えず、その場合は転職市場で価値があるうちに行動に移らなければ、時間が経って歳をとるほどに身動きがとれなくなる焦りがありました。

 

そんなとき、今の仕事の募集があることを、その会社の知り合いから教えてもらいました。

業界の展示会などで世間話をしているときに近況を言っていると、冗談交じりに、うちに来なよ、いやいやそんな、程度でしたが、

実際に募集枠が出てピンと浮かんでくれたそうな。

思いは内に秘めるだけでなく口にしてみるもんだなと。どこにチャンスがあるか分からない。

 

悩みました、転職すべきかどうか。

その時の仕事自体は好きでしたが、きっと40歳になっても同じことをしているだろうなと。50歳はどうなっているか分からないなと。

その点、その歳その歳に応じた責任ある仕事をステップアップしていけそうなポジションでした。

いい歳なのでね。いつまでも同じことばかりやっていられないなと。

2社目に4年いて、何か成し遂げたかと言われれば志半ばでしたが、次のレーンに移るには今しかないと。

しかし浜松。夢見た「いつか」仙台か福岡、この話に飛び込めばその夢はもうないだろうなと。

 

仙台に12年、地方中枢都市で街もありながら自然のレジャーも多い東北が居心地よく、

福岡に引っ越してすぐは友達と離れたことと文化の違いとで、仙台に帰りたいといつも思っていましたが、

福岡に10年、都会で不自由しないうえ愛嬌があり感度の高い福岡がいつの間にか大好きになっていました。

そして就職で東京に出て10年、たくさんのヒト、モノ、コトに溢れた刺激たっぷりの20代を過ごしましたが、

10年いても東京を好きになれませんでした。

東京を出たかったのはこれが大きいです。だって好きにならなかったんだもの。

 

転勤族の親のせいで、実家は何度も移り、今は親の本拠地の広島に戻っています。

盆正月の帰省で広島に行ったところで、自分には思い出も友達もいない。同窓会もない。近所でばったり古い友人に、なんてこともない。

幼馴染がとか、○○君のおばちゃんがーとか、あそこのお店が潰れたんだってとか、昔ここでよく遊んだなとか、あそこであいつが働いてるよとか、

帰省したところでなにもない。

自分には帰る場所がない。心のよりどころの故郷がない。とずっと感じていました。

だから仙台か福岡に帰ることを夢見ていましたが、これを機についに諦めました。

いまは自分の子供が浜松を故郷として安心できるように、自分が感じるこの物寂しい思いをさせないように、この地で平穏な生活と思い出を、自分の親がしてくれたように作っていきたいなと、思います。

 

転職してみて、まさに天職だと思いますしょうもないですが。

転職の応募を進めてくれた会社の人が言っていましたが、音響が好きなら幸せな環境の会社、です。

音響理論を共通言語に、常に新しい技術や知識を勉強できて、常に良い音のことだけを考えられる環境です。

自分の職務は海外現法を相手にしています。体半分、海外を向いている感じです。

ミーハーと思うかもしれませんが、海外生活をしてみたいと思っていました。

理由は単純で、海の向こうには文化の違う外国があって、そこに行く手段があって、実際にそこに暮らして働いている日本人がいるんだから自分もそこに行ってみたい、

というだけです。

同じ理論で、宇宙にも同じくらい行きたいですなぜならこの時代宇宙に行っている人がすでにいるんだから自分もそこに行ってみたい、という感じですが、

さすがにそこは難しいので、丸い一つの地球、人種や言語は違うけど良い音をという共通の意識で一つの傘の下、みんなと一緒に働けたら楽しいじゃないですか。

 

父親の働き方とはまた違いますが、それでも東京にいた頃より家族に貢献できているとは思います。

次は海外勤務を夢に、小刻みな夢を口で発しながら進んでいきたいと思う次第でございます。

 

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コメント: 2
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